『本屋大将』木下古栗

終盤になって主人公が製薬会社に勤めているところで相変わらず呆れたが、全体的な印象はややおとなしめ。といってもそれは、前作が力作すぎたせいでもあるんだけれど。
この題名からして書店員を相当おちょくっているのかと期待したが、それほどでもなく(←あくまでこの作者にしてはだが)、書店員の業務内容とか本屋経営の舞台裏とか、あるいは本の流通について詳しく語られたりもしない。そのかわり100円ショップでの消費行動についての解説がいきなり入ったりする。なんなんだよ、と思うが、こういうところがこの小説の面白さなので、ついてこれない人は脱落するしかない。
ところで、この小説を読んでいる間はとくにひっかかりも感じなかったが、山崎ナオコーラの連載を読んで思い至ったことがある。この小説って、山崎ナオコーラの連載小説にたいする批判たりうるよなあ、って。
100円ショップに入ると、あーこんなものがあったら良いかもと思ってつい買ってしまうが、モノ増やしてるだけなんじゃねーの?たとえば整理ボックスが必要だとか考える前に捨てること考えろよ、とここで言われているわけだが、同じ号の少しあとで山崎は、リアル本屋というのはそれまで興味のなかったことに対する読みたいを喚起してくれるのだー、と呑気に似たような消費行動を肯定しているからだ。(←あくまで物語のなかでのある人物の思いにすぎないけどね)
図らずも原発事故後の現在、反・反原発派が江戸時代に戻るのかなんて恫喝することもあるような今、果たしてどちらの射程がより深いかは言うまでもないが、注目すべきなのは、たとえ原発事故がなくてもそれまでの消費行動への反動的な芽がすでに生まれていたことだ。この小説はそういう現在をきちんと呼吸してできたものという気がする。まあこういうマジメっぽいことは、読んでいるあいだに頭に浮かぶことなど殆どないんだけれども。