『新潮』 2011.3 読切作品ほか

先日ヤマト運輸メール便を出しにいったのですが、窓口で対応してくれた女性の名札をみると「佐川」でした。「あの、もしかしたら大変ではないですか」と慰めの言葉をかけてあげたくなりました。


週刊誌、とくに男性週刊誌というものは絶対買うつもりはないし、銀行のロビーなんかにあったとしても、オレンジページの簡単料理特集などの方をあえて読んでしまう私なのですが、地震でどういう状態だったのか一抹の興味がわいて、機会があったので地震発生直後に入稿時期を迎えたものを中心に覗いてみました。
もともと酷いだろうなと思っていたので予想をそれほど超えるものではなかったですが、朝日新聞を読んでまるであのアサヒがまるで戦時中だなあと感じていたくらいですから、例えばやはりそれより右の週刊文春自衛隊のヨイショ記事とかあって、結構「きて」ましたね。
ちなみに、最近は新聞なんて読まない人が多いでしょうけど、朝日新聞がいま原発の処理にあたっている作業員を気遣う記事なんか、もう前線の兵士を気遣うのを髣髴とさせる調子で、伝統というか社風というかそういうのは連綿と残っているんだなあと思います。


週刊誌の話でした。
やはり震災直後の号では、よほど気分が高揚しているのか単に混乱しているのか、勢いで書いてしまたねボロがでましたね、みたいなコラムも見られます。ダメなもので印象に残ったのは林真理子菅総理は頼りにならなくて小泉的俺について来いが良かったとか、なぜか枝野の方に心情的に頼っていたりとか、一般大衆ですか?と。いまも不思議なんですが、なぜか枝野が震災直後に人気があったんですよね、一般人の間では。たんに発表しているだけの人としか私には思えませんでしたが、格好よいとか言うひとがいて驚きましたです。
あとは宮藤官九郎が西永福だか永福町だかから吉祥寺まで歩いたことをさも大変なことのように書いているのを読んで、井の頭通りがかつては生活道路だった私は、目と鼻の先じゃん山も谷もなくまっすぐ行くだけだし、と思いましたが、まあこれも混乱してたんでしょうね。


もうひとつ発見だったのは、意外にもクソ男性週刊誌に純文学の人の名前がけっこう見られるところで、朝吹真理子川上未映子のコメントなんかは私のなかで彼女達への評価をあげました。共通しているのは、まるで戦時のように「国民」が露になっているかのような雰囲気への警戒感でしょうか。養老孟司もなかなか良かったです。
結論から言うと、やはり週刊誌は読むもの、いや純文学の人の名がそこここに見られるので立ち読みくらいは可ですが、少なくとも買うものじゃねーな、という。