『群像』 2011.2 読切作品ほか

群像の最新号を手に入れたんですけど、さっそく地震について語られた文章が載っています。
とりあえずそれら全て読んだんですが、今回の事象にたいしてこんなにも自分が言葉を欲していたんだな、と呆れるばかりです。まあテレビとかで「勇気を与えたい」とか「日本に元気を」とか「大丈夫」とか連呼されていると、そんな気にもなるのかもしれない、と弁護したりもしたくなるのですが。
高橋源一郎氏は、「なにか」が「ずれた」ように感じた、と書いています。これだけ少ない言葉であの地震を言い当てているものは多分他にはないな、と素直に感心しました。それも含め、どこかに書いたらしい文章も含んでいるとはいえ、締め切りの時期を考えれば15ページもの文章、さすが、というべきかもしれません。ただ共同体が云々とか、熱狂的な連帯の気運と書かれているのは、今から見ると少し見直しが必要かなと感じますが、書かれた時期を考えれば仕方ないと思いました。というかそれよりも、高橋源一郎って、近代文学批判の人だと漠然と思っていたんだけど、いつのまにか国民文学の人みたいになってしまっていて、そのことが意外だったなあ、と。たぶん高橋氏をフォローしてない私が鈍いんでしょうけど。
秋山駿の、路上で地震にあって中年女性と二人で支えあっていたときの記述で、"これが人間生活の急所だ、共感とか同情などという言葉はつまらない"もとても分かる気がしましたね。
いっぽうで高橋克彦氏が、震災後みなDVDや本を読もうとしていないように見えるのが残念だ、というのはちょっと的を外れていますよね。震災直後ですから、無理も無いことだと思うし気を落とすことなどない、と思います。私みたいな被災していない地域のものですら、連日のようにテレビに釘付けになってしまったくらいですから。私と比べるなと言われそうですけど。