『我が異邦』藤谷治

藤谷作品というのは、私がこれまで読んだものは、たまたまかもしれないが、あくまでリアリズムベースでありながらどこかで非リアリズム空間を裂け目的に挿入しつつ語る作品ばかりで、で、その手際のよさも高評価ポイントのひとつだったんだけど、この作品はリアリズムで通している。そして、面白さは変わらない。というか、より面白い。
もっと正確にいうと、より面白いというか、より好き、かな。ヴェトナム人の友人と売春宿を訪ねるシーンを筆頭に、好きなシーンがそこここに溢れていて、おおげさにいえばため息をつきながら読むくらい。ほかには、中国の墨絵のようだ、とチラ見されるシーンとか、寡黙な日系人と喫煙所で話すシーンとか、バスに乗り込むと黒人達が固まりだすとか。
ポリティカルコレクトネスの進展は悪いことじゃないから今のアメリカは味気なくなったとか言っちゃいけないんだろうけれど、15年前のアメリカの空気がじかに感じられそうで、もし作者に滞在歴がないとしたらその想像力には驚く。物語そのものは、売春婦に入れあげて何とかそこから抜け出すてやろうとするちょっとクサいところはあるんだが(冒頭ちかくでの自分のエロさを隠さない露悪さなんかもね)、しかし、このディテールの豊穣さが全てを許す。オプラ・ウィンフリーといえば日本では、というか私の中ではスピルバーグの「カラーパープル」の人で、マーガレット・エイヴリーとともにすごく光っていて、わざわざ俳優名まで確認したくらいなんだが、その後映画はあまり出てなくて、向こうではテレビ司会者の人なんだよね。これも1990年代のアメリカを語る上で欠かせない要素だろうな。
あと小説の評価とはべつに、特筆しておきたいのだが、サリン事件について書いてある部分で、それが起こったすぐのとき、オウムみたいなチンケな宗教集団がこんな大それた事出来るか、という意味で、両者を結びつけるのは困難だった、という記述があるのには、大いに共感させられた。私も父親が、「オウムがやったんじゃないの」とつぶやいたとき、「んなわけないじゃん」などといっていて、その後暫くして鳥かごと機動隊が野原を行く映像をみて、「えまじかよ」となったのを思い出した。そうそう、そうだったんだよ。