『ハコブネ』村田沙耶香

最初に白状しておくと、この人の書くものは嫌いになれない。
以前読んだ『星が吸う水』と、主題、モチーフ、非常に似ている。今回は年齢が離れた者が混じっているとはいえ、やはり三人の女性の性をめぐる話なのだ。今あの作品について書いたものを読んでみたら、自分が今作に抱いた感想すらも殆ど重なっている。両作品を短期間で読んだならば、新鮮味をあるいは欠いたのかもしれないが、それでもつまらないと思うような事はなかっただろう。
これから書くのも、だから同じことの繰り返しになるのかもしれないが、私にとって何よりまず魅力的なのは、性との関わりを描いた部分ではなく、女性同士の関わりを描いた部分なのだ。その距離感覚をとても好ましく感じ、その心地よさと、彼女達のつながりはどこへ行くのかという緊張感で、300枚という長さを長く感じさせない。
ディテールもまた良くて、女性らしさを拒否しない女性(椿)の部屋があまり片付いていなかったり、性から一番超越している女性(知佳子)のポッケにはいつもアメが入っていたり、といったようなところが、まさしくそういうものとして受け入れさせる人物造形の説得力に寄与している。
とくに椿が興味深い。彼女は、自らの性を受け入れられない年下の女性(里帆)を批判するのだが、そこまで厳しく言うのに、なぜか彼女と関わろうとする。そして彼女は、いっけん素直に女性性を受け入れているかのようでありながら、それでも男友達が多いわけではない。決して幸せには見えないのだ。だから薄々里帆に親近感を感じたとも思えるが、だからといって里帆を気にするのがそれだけとも思えないし、その親近感は表にでない。こういうところ、この距離のとり方に、うまく言えないが、何か人としての倫理性を感じてしまう。結局性に関しては、それぞれがそれぞれでしかないという終わり方で、また、決して我々に共有できるような感覚を提示している訳ではないのだが、人としてのあり方は充分提示されているかのようだ。二人が居酒屋で飲んだくれ、また外でも飲み続けるエピソードがなかでも特に良い。
で、我々に共有できるような感覚を提示している訳ではない、とは書いたものの、アースと繋がる知佳子は別として、クッションを愛撫しつつ涙を流す里帆のシーンには、心打たれた。ここはとくに丁寧な描写で、モノとの交接をこういうふうに描けるのはこの作家ならではないか。今後も幾度と無く、このシーンを心に呼び戻すことになるかもしれない。はじめて、彼女が自分自身と和解することができたのかもしれないという事への感動と、その思いの狂わんばかりの真摯さへの感動と。ここまでの真摯さが、いっけん必要ない自己否定に陥らせたのは確かかもしれないが、またこの真摯さなしでは、いつまでも和解する事もあるまい。私のようにそれを持ち合わせない人間は、死ぬ間際になってその虚しさを後悔するのだろう。
ところでクッション相手に涙したあとの、里帆は、性を超越した知佳子的立場を一瞬分かったかのように示唆されるが、その後は詳しく描かれない。時を経て、椿のような性との「和解」をする可能性も残されている。むろん、それも時を経ればというだけで簡単ではないだろう。それでも、私には知佳子がフってしまう男性も含めて、自己の性を他者として感じてしまう近代の宿命を抱くものとして、三人(プラス一人の男性)が、乗船する時期は例えそれぞれとしても一隻の見えないハコブネにのって、心のどこかで時折お互いを意識したりしなかったりしながら、航行している様子が目に浮かぶ。