『文學界』 2010.9 読切作品

奥泉さんの書き下ろし本が出まして、そのせいでシューマンが生誕200年であるというのを知ったのですが、それを聞いて、まだ200年しか経っていないんだ、と思った人はそこそこ居るのではないでしょうか。
私は、まさしくそう思った一人で、「まだ200年しか経ってないんだ、音楽の歴史って浅いんだなあ」と。
むろん、ここでいう音楽なんて西洋音楽でしかないのですが、小説が近代小説から始まったように、我々の耳も恐らくは西洋音楽から始まっているのです。(採譜できないようなプリミティブなものもあるでしょうが、広がりを持たないでしょう)


で、その音楽なのですが、小説より先に終焉を迎えてしまっている気がするのです。2000年くらいから以降、新しいスタイルというものは殆ど出てきていません。ヒップホップのように過去の音源をサンプリングしたのが、きっと、終わりだという事を示しているのではないか、と。
この事については、機会があったらまた書きたいと思います。


文學界』を借りてきたので、それについて書きますが、金を払っていないので、悪口は書きません。
とか言いつつも、買わなくなってから読まなくなったものをここで挙げておくと、『メガ・クリティック』以外の連載評論は、どれも読む気になりません。山田詠美の小説も読んでいません。
『傾国子女』も、昭和の頃の高校一年生の少女が「花弁」とか「幹」とか言うのかなあ、とか首を傾げつつ我慢して読んでいます。