『格差問題で思うこと』萱野稔人

アカデミズムのなかでは、まだまだ高齢の人を中心に何かと左翼的な気配が支配的である。というのは予想できることで、萱野氏がエッセイでこういうことを書き付けたくなった気持ちも分からなくはない。しかし論はやや乱暴に感じる。「格差」を「格差問題」として意識させるのは確かにナショナリズムが作用している。しかしだから解決もナショナリズムに依拠せねばならない、という事になるのだろうか。
グローバリズムによって平準化してしまった低賃金労働を一国だけの政策で保護してしまえば、それは保護貿易とさして違わないように思うのだが。むろん、グローバリズムから離脱してやっていけるだけのものがこの国にあるのなら話は別。たとえばギリシャやスペインで国内投票など実施すれば年金はそのままがいい(一国だけの労働者保護)となるだろうが、EUからは離脱せねばならなくなるだろう。
とはいえ、労働者による世界同時革命なんて事はまったくありそうもなく、私がなにか解決策を持っているわけではいのだが。
ともあれ、グローバリズムが引き起こした問題であるのならば、論理的にはグローバリズムを閉じるか、グローバルな解決方法を取るしかないのではないか。例えば中国においてだって日本以上に格差はあるわけで、中国のなかで多少なりともそれが緩和されれば、低賃金による生産物という目に見えにくい労働の輸出は、少しは緩和したりはしないものだろうか。
となるとユニクロとかその消費者は困るかもしれないが。しかもその消費者は格差の下に位置していたりして。