『黒くなりゆく』羽田圭介

群像でも似たような趣向のコミカルな作品があったが、この作家は、我々を疎外する企業や社会といったものを、コミカルに描くことでなんとか、そのなかに自分の居場所を見出そうとしているかのように感じる。否定してばかりいてもしょうがないというのは確かにあるし、ここ以外の現場を持たない人は沢山いるのだ。
雨宮なんとかさんが書いているものだって、やっていることだって、方法として間違っているわけではないんだけれども、折り合いをつけられる人が折り合いをつけることは、私には必ずしも批判できない。