『小説家52人の2009年日記リレー』

『新潮』はこれまでも朗読CDつけたり、源氏物語現代訳とかやらせたり、成功不成功はともかく、わりと保守的ではないかと推測されている購買層に反して、けっこう意欲的に色々企画するなあと、その点は好感が持てる。
中身だが、ただに日記にみえて結構これだけで作家の姿勢というものが露になってしまうところがあって、それは、サービス精神がある人とそうでない人が分かるという事。当然、サービス精神がある人は面白い。そして、サービス精神というと、堕すればウケ狙いという事になるが、基本はそうではなく、読まれかどうかにいかに意識的かどうか、という事。読まれるかというより正確には読んでもらえるかどうか。だからこの日記読んでそのユーモアが自分に面白いと思ったら、たいてい作品も面白いんじゃないだろうか。
代表的なところでは、推理小説じたての作品にしてみたり、昔から読まれる事を念頭に書いてきた奥泉光とか、いかに聴衆を増やすかという分野にも手を出していた川上未映子などは、やっぱ面白い。この文脈では角田光代なんかもそうかな。あとは朝日が出している文芸誌でも根っからユーモアがあると思える事やってる阿部和重、ユーモアでやってきた矢作俊彦アウシュビッツダッハウに書き換えには爆笑。ましかし、本の記述なんて論理的な線引きではなく、どれだけ問題になる危険性があるかで判断されること多いと思うし、ここがヨーロッパでなく日本であることを思えば編集部の判断もしかたないかなあ。「南京」とか「アウシュビッツ」は、何かとんでもなく悪いことが行われた場所として有名すぎるしね。笙野頼子となると、ユーモアなんだろうけど毒が強すぎというか、でもこういう人がいるとなんか文学全体が救われた気になる。ここまでやる人がいる、みたいな。鹿島田真希もなんか真剣なことをとぼけたふうに、いやとぼけたことを真剣なふうに?書いていて面白い。青山真治も工夫のあとが見える。これは私には合わないだけ。
あとは個人的な注目点で言うと、なんといっても高村薫だ。ほぼ毎日きっかり午後11時に寝ている!そして社会問題に関するクソ真面目な感想。こういう人と付き合うのは難儀かもしれないが、人間として嫌いになれない。しかし、太陽を曳く馬でわざと坊主の抽象談義で人物の区別をつけないように書いたという高村、毎日11時に寝るということをわざわざ記すというのも計算あっての故か。現実には「裏高村薫」みたいになっていて、「これ読めばまたどんなにクソ真面目な奴かって世間は思うだろうな、うっしっし」と民放のバラエティー流しながらカウチポテトでDSの「逆転裁判」とかやっていたら面白いんだけど、そんなこと絶対にないだろうな。
島田雅彦は国際陰謀が好きそうだし経済にも精通してそうな事書いているんだから村上龍みたいな作品書けばいいのに、と思う。
諏訪哲史、「廃品回収車を回収せよ!」これ気に入って、件のクルマがうるさく通るたびに思い出す。
その他、金原ひとみ青山七恵あたりが、これは個人的な興味から、少し日常的な部分が伺えて面白い。
なお、某演劇家の日記みたいな退屈なものはいちいちあげないでおく。なんて、ひとり書いちゃった。岡田氏に申し訳ないので、某経済人とか詰まらない人はけっこう居て、あなただけではありません、とフォロー。