『新潮』 2010.3 読切作品ほか

アナログレコードの中古店の事を書いていたら思い出したんですが、以前はそこそこ大き目の駅ならたいていそんな店があったんですよね。信じられますか?だから新宿とか更に大きなところだと20店舗はあったんじゃないでしょうか。西新宿とか、輸入盤、中古盤好きの聖地みたいになってましたから。
それよりも数多くあったのが、レンタルレコード店。これも今や想像がつかないことなのかもしれませんが、レンタルビデオではありません。ビデオなんて無し。レンタルのレコードだけで経営が成り立っていたんです。しかも、ツタヤだのゲオだの、そういう巨大資本に集約される前で、独立経営がほとんど。そして独立経営だから、店が貸し出しているレコードの品揃えも結構違っていて、当時は杉並と世田谷の境目に住んで居たのですが、あちこちハシゴしたものです。なぜかストーンズは殆ど揃っている店とかあったりして。御茶ノ水なんかには、輸入盤中心のどマイナーなレンタル屋もありましたね。これはある程度の年齢以上であれば知っている人も多いかもしれません。
でレンタルレコード屋の経営が傾き始めた頃にあちこち出始めたのが、中古ゲーム店。これもなかなかすごい。新品のゲーム販売なしで中古だけで経営している店があったくらい。考えられませんよね。
あの頃はそして当然のごとく駅前には本屋があって。そう。都内の私鉄の小さな駅なら2、3店舗くらいは本屋があったんです今思えば。井の頭線の駅みたいな小さな駅のそばに、ですよ。驚きです。


レンタルビデオに関しては、細々と独立経営の店が残っているかもしれませんが、とくに地方なんかでは、殆どがゲオかツタヤになってしまっているでしょう。(そしてゲオやツタヤすら、ネットレンタルに負けそうだという。)
色々個性的な本屋、レンタル店があったあの頃を思えばたしかに退屈な光景なのかもしれません。ファスト風土と揶揄する論に関しては以前も否定的に言及したかもしれませんが、もしかしたら電車しか使わないような人は尚更光景が退屈に映るかもしれませんね。バイク移動が中心の私とは少し考えが異なってくるのかもしれません。
まそれでも、闇雲な、個性的であることイコールすぐに肯定みたいな平板で退屈な個性尊重論や、貧乏学生時代に浸ってるような保守的な郷愁感で、街を語るのには未だに乗れないのは乗れないのですが。