『文學界』 2010.2 読切作品ほか

スクエニとかバンナムが人員削減という話を耳にしましたが、ゲーム業界も厳しいみたいですね。音楽だの本だののソフトのコンテンツ生産の業界はどこも駄目みたいです。
バブル崩壊後一番もてはやされたセクションなんですけどね、私の記憶では。もう革新的なハード開発を競うモノの時代は終わった、ソフトとサービスの時代だ、と。確かにそういう面はあるのですが、モノは消耗していきますから、細々と需要は必ず続きます。
それは例えば、台所で洗い物をしていてもヒシヒシと感じる所で、私は5枚で100円みたいなヘナヘナしたスポンジではなくそこそこ値の張るスコッチのスポンジを使っているのですが、一ヶ月やはり持たないのです。エッジのある洗い物は気をつけて洗っているつもりなのに、どこかしら破れてくる。台所みれば、包丁みたいに10年は間違いなく平気とか、ヤカンみたいにヘタすりゃ一生モノもあるのですが。


話戻しますと、ソフト系のものが何故駄目かといえば、古いものが古くない所まで来てしまったという所にあるのではないか、と。例えばドラクエみたいなものは、擬似中世みたいな世界での出来事なので、いつ遊んでも内容としては通用してしまう。普遍性のあるラブソングは普遍性がある分、今も聴けてしまう。というわけで優れたものが中古市場に有り余っていれば、誰も新品なんて手を出しません。
そんなこといったら文学だって、例外ではないですよね勿論。
しかし古典と現代ものは読まれても、戦後文学なんかまったく省みられなくなったりしているし、例えば田中康夫のいくつかの作品とかも豊かな時代の空気が濃すぎてもう読めません。逆に、文芸誌に載っている作品のいくつかには、明らかに「今ここで」という内容を持つものがあります。
というわけで最初から細々しているところが意外にしぶとかったりする。そんな事を期待しているのですが。


さて名前だけみると一見豪華な執筆陣だった『文學界』ではありましたが。