『幸福な水夫』木村友祐

新人賞受賞後の第一作にして、なんだこの読ませる作品は、という驚き。私は「幸福な読者」であった。
正直ちょっとした感動というか、情動的なものすら覚えてしまったのだが、それはストーリーに負う部分が大きいように思われ、少し厳しくいえば、この作品だって星野智幸的基準からすれば"読み物"なのかもしれないが、それにしたって上等な読み物ではある。
第一に登場人物の行動に不可解なところがない。たとえば前掲作品なんかと比べればそれはよく分かる。思うのだが、こういうリアリズムな作品であれば何より、ストーリーはストーリーのみでは成立しないのではないか。つまり、登場人物がわれわれが入り込める人物として、きちんと統合的なものとして描かれていて、そこで初めてストーリーというものがより力を持つのではないか。とくにこの父親のキャラがいい。家族に対してはあれほど荒れているのに、最後の酒場であわや乱闘というところで、むしろ冷静に場を収めてしまう。地元で長いこと人に頼られ、あるいは人に頭を下げてやってきた人物ならではの行動だ。ちょっと細かい事いうと、ここで発揮される「正義」がカラオケのマイクでエコーがかかってしまっているという情けなさ、おかしさ含みの描写もいい。
でストーリーであるが、その芯を取り出せば結局「家族」という内側の論理を勝たせてしまってはいる。主人公の兄は自分が雇っている従業員と父との間では、従業員の側、つまり外側に立つことができたのに、それは最終的な着地点のためのクッションのようなものとして働くかのような出来事に見えなくもない。
しかし最終的には内側を勝たしてしまったとはいえ、前半で散々この父親のわがままぶりは描いていて、ラストの一行まで含めればそのバランスは秀逸であり、むしろここで「家族」が確認できたことが非日常であり、また旅行から戻ればいがみ合いも復活するんじゃないかという予感はきちんと漂わせている。従ってこれはあまり問題視するようなものでもないように思われる。
それにここで「家族」が復活しなければならなかった事情も合わせ読者は考えなくてはならない。十年前二十年前であれば、これはごくありきたりな、父もまた自分と同じように家族であるまえに一人の個人としてあり、それを非日常的な空間で確認してしまう事で新たな父・息子の関係性のフェーズへ至るような、たんにそういう小説でしかない。が、逆にいって、十年二十年前でこういう小説が描かれたか。そりゃあ描かれたかもしれないが、こんなに早く和解が訪れたりするような小説よりは、相変わらず断絶してゆく小説の方が好まれたのではないか。
ここでまるきり違うものとして昨今の経済情勢は色濃く横たわっている。それはこの作品の単なる背景でしかないとは、私には思えない。いまこのような惨めな状態で里帰りし、父親の温泉行きに付き合わねばならないくらい、もはや「家族」という最後の砦まで追い詰められてしまった姿がここにある。いや、いつだって最後の砦なんかではなかった。かつては「家族」なんてのは呑気にも単なる桎梏でしかなかった。それがいま、場合によっては貴重なライフラインとなりつつある。この作品は、そういう今だからこその作品となっているように、私には思える。
思い出してみるに、この人のデビュー作も、海で溺れかかるという記憶に残る小説的クライマックスをきちんと持った、それでいてストーリーもそれほど前面にでない、どちらかというと日常と隣り合わせの物語で、すばるではなく文學界の新人賞であったら、芥川賞はともかくも候補作になってもおかしくなかったんじゃないかなあ。読んでないから比べられない候補作もあるけれど。