『結婚小説』中島たい子

この人はエンターテナーだなあ。少なくとも読んでいて退屈することはない。
それだけではなく場面作りなんかもめっぽう上手く、とくに、外でトラックの音がうるさくて、と思っていたらなんと恋人だったあたりは軽い驚きとともに見事だなあ、と感じたものだ。
でも文学としてさてどうかというと、結婚式のシーンで腰砕け的にしらけた気分。これな無いよなあ。話を面白くしすぎ。
結婚式で来場した人達をさんざん裏切って、しかも相手に相談もなしにそれをやられて平然とできる、だけでなくそれを喜んでいる男・・・・・・。まあ、ドキュメンタリっていったら、報道写真もそうなんだけど、決してその場で解決しようとしないわけで、ある意味無責任を貫かねば出来ない商売なんだけど(メディアを通じて問題を伝えるから無責任でもいいんだけど)、だからといってここまで社会性がないとは思えないよなあ。一方では撮らせてもらう事も多いわけだし自然と腰が低くなるんじゃないのかな。
しかもここで新婦が述べる理屈も幼稚で、あえて人前で発表するものでもないし、結婚式を行う以前に当人達の間でとうの昔に解決してなきゃ可笑しいような問題。結婚する人はたいてい結婚なんてものは制度にすぎないと敢えて虚に飛び込む気持ちで結婚式なんてものを挙げるわけで、参加するものも虚と分かっていて、その虚にあえて飛び込む勇気に免じて付き合いで参加するのだろうし、こんなことを目の前で言われた日には、自分達があえて虚として行った事を「あなたたちは虚しいですね」とわざわざ否定されるのだから、怒り心頭に違いなく、また、カネを返せば良いだろうと受け取られかねない言い草で祝儀を返す事にまず言及するのもひどく、言うべきならまずわざわざ予定を作って足を運んでくれた事への謝罪が第一だろうし、そういう諸々を想像できない人が作家であるというのが何とも・・・・・・。
もっともそういう事は問題ではなく、たとえば結婚せずに子供を作ることが日本では困難であるなどの社会的な問題を訴えたいが為の小説だとしても、そこは余りクローズアップされず申し訳程度に触れるだけで、最後に至るまで良い歳した身勝手な大人の、二人が幸せならそれでいいの的な恋愛小説として終わってしまう。
ただ世の多くの小説の水準からすれば、恋愛小説としては十分満足のいくものではあるかもしれない。これを読む人の多くは良い話だった面白かった、で終わるのではないか。
でも私は、世の多くの小説や、多くのひとの感性を疑う所から文学はスタートするものだと思っている。