『終わらない原稿はない』茅野裕城子

何と言うべきか。紙の無駄と紙一重。途中戯画的に編集長を描いて見たり、最後の方でハーレクインふうになったかと思いきやウォーホールが登場したりして、ひょっとしたら一切読み返しもしないで綴るという、そういう実験的な小説なのかと思ってしまったくらいだ。
まず日本語が雑。たとえば、ニューヨークでまったく意味の分からない事を言う男性について「言ってる言語が、聞き取れない」などと表現する。「聞き取れない」とは、その言葉がはっきりくっきり耳に入れば理解できるような場合の事を言うのではないか。たとえば、中国人が中国語を話すのを「聞き取れない」とはわれわれは表現しない。音声としてどんなにはっきり言われても永遠に分からないからだ。が、こそこそ話す日本語は「聞き取れない」。したがってここは耳には入ってきても分からないのだから、「その英語らしきものは全く意味が伝わってこない」とかそういう表現になるのではないか。その他、体言止め副詞止めを使った省略文体は、女性向け雑誌の文体のように軽い。「アイデアが、絞れない」とか言われても、絞るのはアイデアではなく脳みそや頭ではないか、と思ってしまう。
むろんわざと主人公の女性をあえて軽薄に描いているのだろうし、その軽薄な人間にもそれなりの哲学があるところなど、とことん何も無い小説というわけではない。編集者が作家に頼って何もしなさ過ぎなのではないか。