『母性のディストピア』

まったく理解する気持ちが全くないので毎月ただ眺めているだけだが、何がネタになっているかは知っている。サブカルチャーをさも社会学風なタームを使ってさも意味ありげに語るのは、大昔から行われているが、最早文学がそれで活性化することなどない事だけは言っておく。とくに、サブとはいいつつガンダム以降は、本来文化として語られるものより前面に出てしまっていることだし。
『新潮』はアエラにもスパ!にも、部数的にはもうならない。こういうのはああいうのに任せておけばいいではないか。この評者が『新潮』しか発表の場がないというなら寛容ではありたいと思うんだけれども。
この評論の分だけ私はどんなダメダメでもいいから、代わりに載ることの無かった小説が読みたい。『すばる』と違って伝わりにくいだろうひとりの読者の声として書いておく。