『私のマエストロ 忌野清志郎』モブ・ノリオ

RCサクセションが「怪物的なロックバンド」と書いてあるが、いくらなんでも持ち上げすぎ。また「未知数の社会的影響力を兼ね備えた」とも書いてあるが、未知数の社会的影響力って何なんだろう?意味がよく分かんない。
そもそも忌野清志郎の一般的知名度については、その大部分を「いけないルージュマジック」というCMソングに負っていて(つまり男のくせに化粧したへんなひとっていうただそれだけ)、その事にこのエッセイが一言も触れていないのはいったいどういう訳だろう。しかもこの歌が大流行したときには既にRCサクセションとしては下降期にさしかかっていて、「トランジスタラジオ」並みのヒット曲など殆どなかったように記憶しているのだが。
そしてときたま「ひょうきん族」に出演したりしたのはお茶を濁しているようにしか見えず、反原発ソングも確かに大きな話題にはなったが、一般への影響力も殆どなかったはずだ。そして影響力がなかったからこそ、反原発ソングからさほど時を置かず、バンドは解散しているのではなかったか。
というかRCサクセションが多大な影響力があったのは、皆ロックスターではない等身大の人間が歌う、ろくでもない身近な出来事を歌ったからであって、社会問題云々における発言の影響力なんて、云々するレベルではなかっただろう。
もっといえば、私にとっては自らの身体から遠のいた「正しい」社会的発言をするなんてのは、ロックから最も遠い軽蔑すべき出来事であって、忌野が広瀬隆云々言っていたのも記憶にあるが、あーこういうふうにメッセージを借りてくる人なんだな、と思ったのである。だから彼の歌など、「おはよう」「こんにちは」にたいする苛立ちを歌うエレカシなどに比べれば、何万分の一すらも届かないものなのであった。