『イタリアの秋の水仙2』辻原登

小人という虚構を通して、和歌山カレー事件であるとか、チベット問題に触れていく。それぞれ現実にあった事件にほんの少しづつ虚構を組み入れるが、現実にあった事件の「現実性」を曖昧にするとか突き崩す所までするわけではない。あくまで考えるきっかけにしかなっていないかもしれない。しかしこれらの、固有性があまりにも強くまたデリケートな事件については、いちから文学的想像力で物語を再構成するようなやり方は取りにくいだろう。それに、辻原氏が書くようなこんなへんな小説は他に見ることがないゆえに、続きも読んでみたい。
和歌山の事件は上告が絶たれ、動機が不明でありながら死刑にしてしまうというのは本当のことである。しかし、単純にそんなんでいいのかと憤るには、あまりに謎が多すぎる。小人が出てきてもおかしくないくらいだが、あれで死んだ方にとっては未だデリケートな問題であってやはり確かな犯人が欲しいのだろう。