『ドリーマーズ』柴崎友香

よく川上弘美あたりの作家について、ほんとうは書きたいことなどないくせにと難癖つけがちな私であるが、この柴崎に比べれば遥かに川上などは純文学を感じさせる。そこには孤独というか孤立の臭いがあるからだ。
この作家については、書きたい事がない以上に、書く必要など元々ない人が書いている、そういう感慨を持つ。こういう人が居ることに、純文学の終わりを強烈に感じる。気心知れた5、6人とのふれ合いの場を持ち、そういう場にいることが何より楽しい。そういう人間に文学など全く必要あるまい。極端な話をすると日本が戦争でもすることになれば、この小説に出てくるような人々はこぞって日本の「活躍」に熱狂する人達だし、主人公もむろんそれに同調するだろう。全てはそういうことだ。
文学というのは、本来マイナーな人達がメジャーの位置にいるという錯覚の場にいた。錯覚でしかないが、そこにはそれなりの意味があったように思う。福田恒存の有名な議論で言えば、一匹と99匹の、一匹の側とそれぞれが己を認識しながら、実体は一匹どころが30匹くらいでありながら、それがそのまま社会として成り立った。今、経済原則が全てを覆う現在、人は99匹になんとしてもなろうとする。そして、一匹でいることの不安のみが前面に出る小説ばかりか、99匹でいることの幸せを積極的に書くような小説が純文学を侵食し、そればかりか最初から99匹の場にいることしか知らないような小説が出てくる。そういうことだ。
これはいくら嘆いても仕方ないことかもしれないが、こんなかたちの延命に私は付き合うつもりは無い。端的にいって、眠っている人間がその場で流れていたテレビの音声に影響された夢を見るなんてのはありふれた事象であって、これっぽっちも面白くない。
蛇足だが、一晩で窓の外が変わってしまったその現実をまるで夢のように描写する小説としての完成度は高い。そこにドでかい豪華客船を持ってきたというのが、何といってもポイントであり、その光景は読んだ後も強烈に読者に残る。ちょっと悔しいくらいである。