『群像』 2009.6 読切作品

このあいだは3日間連続で記事書いたり、こうして2週間以上放置したりと、すっかりやる気の無さが滲み出てしまってます。こういうふうに定期性が崩れてしまうのも、典型的なブログの終わり症状のひとつなんでしょうか。
こうなると、どの作品に言及したかもあやふやだったりしてきて、それが酷くならないうちに、とりあえず書いておこうと、それだけです。自分のためだけの整理みたいな。


そういえば、先日久しぶりに本屋に行きました。
本屋といえば、最近は首都圏では、街の本屋が消え、殆どの本屋が大書店化してますが、その大書店のなかでも大きい方の新宿の某店舗です。文芸コーナーでは各誌のバックナンバーも置かれてましたが、トリッパーの阿部和重の対談(VS江國香織)が面白かったですね。本を書くのは誰かに何かを伝えようというより、自分が好きである所の本というものを自分も出したい、つまりは本を書くのは、まず何より本を作りたいがため。そのような事を江國さんは言っていましたが(と記憶してますが)、なるほど昨今、『新潮』に代表されるような本にしてくれない新人文学賞が低調なのはこのためか、と思いました。
(関係ないかもしれないですけど、江國さんの「号泣する準備はできていた」というのは、よく出来た題名とは思いますが、題名を見ただけで読みたくなくなる本の筆頭に挙げられるかもしれないですね、私にとっては。)
早稲田文学が面白かったら買おうかと思ってましたが、やめました。青木淳悟の小説も短かったし、定価高すぎ。でも『新潮』とかもゆくゆくはこのくらいの定価になるんでしょうかね。


書いてなかった残りなのでごくかんたんに。