『鉄道、そして文学へ』川本三郎

なんだこりゃ。とくに前半。松本清張の作品のここには○○鉄道が出てきて、この作品には××鉄道が出てきて、とただ羅列的に書かれているだけで、何が面白いのかさっぱり分からない。しかも映画の話は余計だし。ビュッフェが列車から消えたからって「こんな大人のラブシーンはもう作れない」って、新幹線のターミナル駅近くになんか大人が利用できるレストランなんていくらでもあるだろう。これじゃ単なるノスタルジーでしかないじゃないか。
挙句、どこかのローカル線が健在なのは嬉しいとか書いている。日々利用して運賃を払って維持に努めたわけでもない人が嬉しく思うのは、まったく身勝手な話ではないか。なんとか残そうと色々負担して努力してきた地元の自治体からすれば。またあちこち廃線してくれたお陰で国民負担だってあれ以上増大せずに済んだのではないか。
そして後半ではステロタイプな一億総中流批判ときた。「結局、一億総中流階級など幻想にすぎなかった」ときて、その平板さにあきれ返った。幻想に「過ぎなかった」じゃないんだよ。例え「過ぎない」にしても幻想できるだけの実質がかつては行き渡ったということが重要なんだ。今じゃ幻想すらできない事がね。だからこそロスジェネがどうだとか団塊批判が横行しているわけで、貧困に同調するようにみえて実はその想いから遠いんじゃないかという疑いがあるから、その同調さえもがいやらしいんだな。