『左へ』天埜裕文

最初から最後まで緊張感が持続している。単純な捉え方をすると妄想系という事になってしまうのかもしれないが、この作品はちょっと違うのではないか。むろん、やっぱあいつはダメだよ、というバイト仲間の声が主人公に実際に聞こえているわけでもなければ、幻聴的なものでもない。周りに溶け込みようがない事を頭のなかで再構成しているだけで、正常か異常かといえば、主人公は極めて正常な感覚の持ち主だと思う。だからこそ共感が生まれる。
そのような状態をそこまで説明せずに(「きっと奴はそう思っているに違いない」とか)、そこに存在しない言葉を混在させているのが面白いところであり、この作家の技量のある所。フリーターの孤独感なんてこの上なく使い古されたモチーフでも、ここまで読ませる作品を生むことが出来るというのは、実際すごいことだ。(出てくる音楽の固有名詞も恐らく敢えてだろうが、ヴェルヴェッツとか凡庸そのもの。)
しかも私など、わざわざカフェで横文字の作家の文庫本を読むような女性など、一番どうでも良い近寄りたくない類の人種であって、主人公がその女性が気になってしまう、話しかけたくなってしまうその動機には全く理解できないのだが、それでも共感している。