『白い紙』シリン・ネザマフィ

吉田修一が推薦するのが、良く分かるなあ、というそういう小説。舞台が国境を越えてたり、あるいは、純文学があまり扱わないタイプの内省の少ない「普通の」人を、積極的に小説で取り上げてきた吉田修一ならでは、という感じなのだ。
主人公の少女の心理がありきたりの恋する少女になってしまっているのは仕方がないとは思う。読んでいてその心情表現が余りに定型的で、もう少し既視感のない表現であっては欲しかったとは思うけど。純文学であるからには、もとより単純でしかないであろう少女の単純さに文句をつけても仕方がないわけで、そもそも、その目的は何より大人を描くこと、彼女を目を通した大人たちを立体的に描きだす事でなければならないだろう。そこが少女の内面で終わってしまう通俗小説とのちがい。
で、この小説は「ちがう」のか。微妙なところだと思う。
この少年は、医学の道に進みたいことは間違いない。だがしかし、戦争に行きたくないわけでもないのではないか。たんに行かされるわけではなく、自ら戦を望んでいる部分があることは、確かにそれとなく示されている。通俗的反戦小説と違い、ここがこの小説を純文学にしている部分ではあるがしかし、読者の想像に任せすぎるきらいがある。この少年の母親は何かこの少年に言ったのか。彼を戦争に行かせないために先生はどのくらい周囲と軋轢をもったのか。ただ最後に叫んだだけか。そして、主人公の少女は、少年とは別れたくは無かっただろうが、一方で、戦争の大義のためには仕方ないと考える部分は全くなかったのか。戦争を描くのであれば、やはり私は、一般人の、隣人の恐ろしさと、その底知れなさを描いて欲しいと思う。でなかったら、小説は、歴史学どころか、テレビのレベルの質の高いドキュメンタリにすら絶対勝てない。ただ現実への近似値の高い写実的な物語であるのならば、現実の迫力には絶対勝てないのだからドキュメンタリー見たりノンフィクション読んだりしている方が良いのだ。
とくに先生が物足りない。この人物にもう少し焦点があたっても良かったと思う。たんに彼は戦争を相対化しそうというだけではなく、彼の生徒への熱情もまたちょっと狂気じみて感じられるからである。この少年への熱情は単純に国を想ってのことかもしれないが、あるいは単純ではないかもしれない。知識というもうひとつの権力と関わっている部分が少しあるとか。
あと、少年が、ひとり暗い部屋で父が逃げたことを嘆くハイライトのシーンも少し物足りない。暗い部屋でひとり座り込むという狂気じみた非日常の光景のはずなのに、いまひとつ奥行きが足らない感じがする。その暗い部屋に何があるのか、まで読者の解釈にまかせているそういう所なのかもしれないが。
ところで常々思うに、戦争に反対、とまでは行かなくても相対化しようとするなら、それを政府とか役人とか政治家とか秘密警察とか、あるいはどこかから来る得体の知れぬ圧力のせいにするのではなく、あなたの仲の良いよく知る友人・隣人、そして肉親と対立し決別するところから始めねばならぬのではないだろうか。だからこそ、この少年の母親がどう行動したかが私は知りたくなるのだ。ここを書かなかったことで、この小説には、戦争=悪、人々=善良という意味の無い単純な二項対立として読まれかねない雰囲気が残念ながらある。得体の知れない圧力に負けていく人々、ああなんと空しい。そういう感じ。しかしほんとうの空しさは、肉親や隣人、あるいはひょっとしたら自分も、戦争を望むところにある筈。この少年が例えばイラク人を残虐にも殺してきて、前線から戻ってきて、そこで主人公の少女にどういう対峙がありえるのか。
上記に書いたことは相当欲張りな言い方であって、むろんこの小説は「戦争」だけを書こうとしたのではないだろう。その隣り合わせにある日常も描かれていて、かの国でも全ての人が原理主義的に生きているわけではない所はとくに興味深い現実だったし、例えばバザールの様子、肉屋での光景なども生々しく感じられ、よく描かれている。ただ、市場や宗教の受容度などたんに市民生活を描くのであれば、それこそ、ドキュメンタリーや紀行文で良いとなってしまう。こういう異国の様相はそれだけで面白い面があり、ワンルームとコンビニの往復の光景しか持てない人には絶対適わない、となってしまう。ならば、こういう異国の様相が描かれているだけでは小説の評価にはならないだろう。
そこでたとえば、終始この小説の雰囲気を司り決定的な色づけをしている、男女のあり方が全く違うところ、などはどうか。いたる所で男女が区別され、接触が禁じられ、デートも離れて歩く。待ち合わせも偶然を装わねばならない。この小説の、こういう「現実」の処理の仕方などは、ただの紀行文の平面さとは違うところで、物語に付随させたり、現実に濃淡をつけ、取捨選択・再構成したりすることで、我々への印象をより深くさせる事に成功しているように思う。
ところで、どうでも良い事かもしれないが、黒と白を対比させたラストの文章は、やはりいい。