『ロンバルディア遠景』諏訪哲史

この1作だけで最新号の『群像』のモトは取れただろう。そのくらい飽きさせる所の全くない作品。特別定価1200円ではあったけど。
今作も例によって、メタフィクションの体裁をとっている。まだ数作しか発表していない作家に「例によって」もくそもないが、諏訪氏にはよほど「自然に」書くことへの、素直なリアリズム小説のうそ臭さへの抵抗があるのだろう。どうせうそ臭いのならば、徹底的に見え見えのうそとして本物らしく作り上げてしまえというくらいなのだろう。
だがそれは必要以上に込み入ったものではないし、難解にもなっていない。遊び心と書くことへの問題意識とのあいだで、ちょうどよく折衷できている感じなのだ。このへんが諏訪氏の特徴的に良いところで、また、この作家があくまで現代の、いまの作家なのだな、ということを示していると思う。
折衷という事でいうと、たとえばこの小説、性をめぐるハイライト的な圧倒的な現場の描写のなかでも、思わずにちょっとニヤけてしまうような比喩がでてきたりする。思い出せるところでいうと、ヨーグルトのフタの裏とか、プールの目洗い機とか。このへん、いまや日常素通りしてしまっている何でもなさが実はちょっと変というところにきちんと着目している、小説家としての基本的凄さ、センスのよさを感じるのだが、何より、エロ・グロばかりのディープにな描写に流れないというのが、特徴であると思う。従来なら、この手のテーマの小説のこういう場面ではディープな内容の描写ばかりがこれでもかと描かれがちで、むろん、そのこれでもかという事も作者の意図なのだろうが、その読みにくさに途中辟易してしまう事もあったりする。
諏訪氏は、驚くものを書きたい、まず書いている作者が驚くようなものを、みたいな事をいっていた覚えがあるが、この、"最後まで飽きさせない"というのも実はすごいところではないかと。今日的なところではないか、と。しかも飽きさせもせず、また話が幾度か前後しながら読み辛くも無い。なかなか類希なところがある。
もちろん、驚きという点も成功している。とくに今回の性的饗宴のしかけは、そこまでやるか、だった。内面と外面に関するテーマの部分でも、これは私だけの感慨かもしれないが、アツシが自分の背中ほど身近で未知なる場所はないのではないかと開眼するとことなどは、ハっとさせられもした。
そして、上記に書いたような、コトバに、書くことに意識的な小説としての側面も素晴らしいが、この小説のなかでいちばん私を揺り動かしたのは、じつは、そのせつない恋愛の有様だったりする。ホモセクシャルヘテロセクシャルへの、絶対成就される事のないこれ以上ない辛い片思いと、にもかかわらずの、相手が応じるかもしれないという奇跡に対する期待。ここに描かれる絶望と歓喜の間の揺れ動きはあまりにリアルだ。なぜリアルといえるかというと、同性愛者ではなくとも、たとえば思春期の性が揺れ動くような時期に、似たような痛切さな想いをわれわれの多くは感じてきたのではないか。少なくとも私はある。そういえば『アサッテの人』だって、たんにコトバの面白小説ではなく、根本には、こういう人への想いが横たわっていたな、と思う。じつは、諏訪氏はわりとこういうベタとは言わないがやや湿っぽい「想い」というものを、想像以上に大事に思う人なのではないか。
最後になるが、やはり恋愛の根底にはリスペクトがあるのだな、という思いをまた強くした。