『還れぬ家』佐伯一麦

普通に一人称で、老いて持病をもつ父親がボケてきてしまうという現実的な話を書いている割には、なぜかしら読み辛い。「わたし」の視点であることは誰が見ても前提なのだからと主語が略されている所なんか、今までこの手の小説でそういう所が気になったことは余りなかった筈なのに、少し違和を感じる。それに、条件や経過的な前置→リアルタイムの目の前の出来事というふうに倒置した文章も、まわりくどさを感じる。なんか無理やり小説らしさに当てはめようとしているかのような。
山崎ナオコーラの簡素な文章を最近読みすぎたせいだろうか。