『酔いどれ四季』鹿島田真希

「女小説家」あたりを典型とした一連の女の自分語りもの−社会的に女(小説家、主婦など)に求められるものの窮屈さに自ら屈服していくかのようなもの−から、ちょっと趣向が変化した作品。よく書けているんだけどちょっと退屈かもと評されたから、ではむろん全くなく、彼女の作品の全てを読んでないので分からないが、きっとこの作家は色んな書き方が出来る人で、球種の豊富な変化球投手なのだ。ただし、みな小説的でその「作られ」感は変わることはなく、棒球直球みたいな自然主義リアリズムな作品は無い。
これは年増のBL小説家が若い男性編集者との間であれこれ悩む話で、冒頭でこの二人が居酒屋で小説内の性描写についてざっくばらんに話しながら、たんたんと酒を飲み、つまみを食うシーンのおかしさは格別だった。仕事じゃなければ初対面の男女二人絶対出来ないような話(激しいオナニーとか)なのだが、BL小説家も戸惑うのは一瞬だけで、すぐ仕事として客観視できてしまう。「仕事」というのは不思議なものだ。
途中で非リアリズム的に、この若い編集者の間に何かスイッチが入って、長々と女とは男とは、そして性とは、と語り始めるのだが、こういう部分を中心としてではなくあくまで部分として書いたのが成功している。こちらを中心にしてしまうと面白くても難渋してしまうだろう。そしてこの作品はそういう挟み込みがあるため、結果として一本調子を逃れ退屈とは無縁だ。