『AS AS AS』原田ひ香

これは読み終わるのに難渋したし、それ以上に読み終わったときに悲嘆した。なんて自分本位な人間なんだろうと元気な方のアズにイライラしつつ読み、ラストで病気の方のアズもそれに劣らず自分勝手だったという。ドッカーンという感じ。最後の最後まで自分の生命を駆け引きに使うなんて・・・、これはひどすぎるだろう。
もちろん純文学で悪人を主人公にしてはいけないという方は無い。が、どんなダメ主人公であってもどこか同じ人間としてのシンパシーを、例えほんの少しでも感じる所がないと実際読むのは辛いものがある。だから私のひどいという感想は、作品の出来不出来とは別のところの話なのかもしれないが。
金のためにそれまでさんざん虫けらのように扱ってきた男と全く心を通わせるつもりもなく寝ようとまでしたり、よく素性を知らないパートの女性に何十万も無心しようとしたりと、まあ、とんでもない事をしようとするのだが、結局それらは、片方の女性の策略によってさせられようとしていたっていうんだからすごい。しかも死ぬ間際にそんな策略を。結局、男の好意やらなんやらで、そのとんでもない事にまでいかないというのも何ともやらしい。結局傷つかないから悪意としての側面を目立たなくしているのだ。結果オーライならなんでも良いのだろうか。
良いのだろう。これこそストーリー優先って奴である。読み物としては確かに非常によく出来ている。場面の描き方で上手いと思わせる箇所も多々ある。かなりの才能の持ち主なんじゃないかと思う。こういうのはテレビドラマの脚本などにもってこいではないだろうか。ウェルメイドの悪人がいて、ウェルメイドに主人公を助ける女性がいて、とドラマなんかにいかにもありそうじゃないですか。
あともうひとつ気になったのは、主人公の人間を見る目の冷徹さで、電車のなかでの幼子にまで厳しい区別をつけたりするところなどはなかなか他に見られないこの作家ならではのものがあるのかもしれない。自分が気に入らない人間はまるでモノのように観察される。
で、こういうふうにヒトを値踏みをしてしまうような人間の多くはたいていそれが顔に出てしまうものであって、かんたんにいえば最初は警戒されるタイプの人間なわけで、この主人公が寝たきり女性の元恋人の兄とか寝たきり女性の夫とか色々告白されたり(しかも男女の秘め事的なものを)、なんて事があるのだろうか。加えていつのまにかファミレス女性に同情され助けられたりもするわけで、ちょっとこれはストーリ優先ものとはいえ、いくらなんでもリアリティに欠くのではないだろうか。それともここまで色んなヒトが絡んでくるというのは一種の実験小説的なものなのだろうか。