『柄谷行人論』大澤伸亮

新潮の評論は面白くない事度々で、あまり期待しないで読んだが、これはかなり秀作。あ、新潮の評論面白くない言ったけど、正面からの文芸評論があまり各誌載らないので、新潮のこういう試み自体は悪くないと思います。
でこれは、もう半ば終わった人とさいきん顧みられる事の無い柄谷氏についての評論なのだが、半ば終わってると見られているせいではなかろうが、本人も回りも当事者があまり語りたがらないNAMあたりまで語ろうとしているのに好感が持てた。本人が総括しないなら代わりにやってしまえ、ではないけど、NAMの失敗は語られ無さ過ぎであって、こうして少しでも言及する人がいるというのは良い事だと思う。
そしてこの柄谷行人論じたいが、柄谷行人的なちょっと飛躍した言い切りをしていて、なかなか魅力がある。評論はこうでなくっちゃ。とくにカントの道徳的命法の「君自身の人格ならびに」に注目した所が面白い。そこからイエスの隣人愛解釈へと至るのだが、たんにイエスの言葉を奴隷道徳と切り捨てるのではなく価値転換を図るあたりは、柄谷のマルクス読解的である。私はじつはこの結部を最初眼を通して、なかなか面白いじゃないのか、と最初から読んだのだ。