『母性のディストピア』宇野常寛

ちゃんと読んでない(し読む気もしない)ので評価不能。だってのっけから読む気無くさせるんだもん。何だろうこの生硬さ、そして空回り、みたいな。
いわく、「<成熟>についてもう一度考えてみようと思う。<成熟>という言葉が嫌ならば<老い>でも構わない。」あたりで、なんで「もう一度」なんだ?成熟についてそれほど考えた事のない読者は最初からお呼びでないってわけ〜?、とか、その<>付けはどういう意味なの?っていうのもあるが、その後にこんな事言われたら、後が続かなくなる。
「<成熟>という言葉がときにアレルギー反応とも言うべき忌避と反発を生むのは、彼らを<老い>と<死>について考えることへの言葉にならない恐怖が縛りつけているからなのだろう。」
???
老いについて考えるのがアレルギー反応ともいうべき忌避や反発を生むんなら、「成熟という言葉が嫌なら老いでも構わない」なんて事ないじゃん全然。ガオー。もう一回考えて見ようとかいっておきながら、アレルギー反応(考えることへの拒否反応)起こさせてどうするねん、なんやそれ、て思わず関西弁にもなるわ。
間違いなくいえるのは、評論だって文学であって、文学というのは文章が肝心であるということ。良い評論は良い詩でもあるみたいな事をいった人が居た覚えがあるけど、その通りなのだ。
ともあれ、成熟という言葉やそれについて考える事のまえに、宇野氏の文章にアレルギー反応起こしてしまって終わり。