『TOKYO SMART DRIVER』青木淳悟

題名は『このあいだ東京でね』と全く違うかのようだが、これは姉妹編といってもよく、コンセプト、叙述のスタイルは変わらない。前作は主に不動産についてのあれこれが書かれていたのだが、今回はグーグルマップを枕にしつつ、東京の道路事情について色々語られている。枕にしつつというのは、どういう事かというと、グーグルのマップサービスについて詳しく語るわけでなく、話の入り口に過ぎなくなっているのだ。ちょっとした肩透かしだが、新潮でそんな事書いても誰も興味もたないだろうし、私もグーグルマップには興味ないのでそれはいい。
しかしこの作家は何者かではある。それを今回強烈に感じた。前作のようなコンセプトで作品をものにするのはあれっきりかと思いきや、全く同じような事をまたすぐに書いてくるとは。どこか人を食っているというか、ふてぶてしさを感じさせる。決して悪い意味ではない。文学者というのは、そのくらいふてぶてしくて、ときに不遜であってもいいと思う。
前作は、不動産についての話ということで余りにも興味がなく退屈極まったが、今回は道路事情。私も日頃運転するものとして、ある程度楽しめた事は正直に告白する。なんと今チェックしてみたら私、前作[オモロない]評価にしてるのだ。まるっきり評価が変わってるのだ。いつもやってるのは、たんに印象批評にすぎないよ、と告白するようなもので、恥ずかしいが仕方ない。
それにしても前回もそうだが、今回の道路事情についてでも、何かしら特別な事情が語られる訳ではない。ある程度東京で車を使って生活している人であれば知っているような事ばかりである。一般的な共通的な事ばかりなのだ。
つまり青木のこの手の小説は、あえて最大公約数的な一般人を主人公にした、とも言えるだろう。無名の人の、あくまで一般的な喜怒哀楽が淡々と綴られているのだ。これを「都市(東京)が主人公」というふうに上手い事を言った人がいたように記憶しているが、なんかちょっと違う気がする。あくまで都市は都市であって、そこに住む人は分離している。青木の小説は、無邪気に東京を描いてるだけのようにみえて、そこに住む人のやるせなさみたいなものが伝わってくるのだ。特定のキャラとか物語をわざわざ作り出さなくても、小説として、読む人の共感めいたものを感じさせる作品が作りえるのではないか、そんな試みなのかもしれない。
とりあえず、こういう小説、あまり長くなければ楽しめます。