『ぼくのアンネ』小林エリカ

前作に引き続いて、自らの実際の性と性意識との乖離に悩む人物が主人公。もっとそれがストレートに描かれているのだが、ややストレート過ぎたか。結局性体験によってコロっと女性であることの実感に傾いてしまう。こういう結末は、昔存在した『ぶ〜け』的なものであり、既視感がありやや物足りない。たしかにその自らが女性であることの拒否を、母親や妹への反感との関連をもって描くというバリエーションを加え、凡庸なマンガなどよりは深みを感じさせるのだが。
それよりはむしろこの作家の特徴というのは、風景への拘りではないか、と感じる。ところどころで風景が鮮やかに印象的に切り取られ、性とかそういうテーマより、こういう所が小林エリカ小林エリカたらしめているような気がする。鮮やかな光景を、余計な心理描写をせずに、たたみかけるように、しかししつこくなく描き、それによって心情を浮かび上がらせる。叙景的なのだ。
前作もそうだったが、光が印象的で、ある種のまぶしさ、光の臭いといったものすら感じながら読むことになる。今回は暗い部屋での出来事を描いたせいで、余計に光というものを鮮やかに感じさせる事となった。他にも例えば、煙突の煙と青い空を対比させる描写なんかも余計に光を感じさせるわけだから、テクニックがあるのだろう。それとともに図らずもにじみ出ている、文字で言えば手癖、料理で言えば味みたいなものもあるのかもしれない。だから受け入れられない人もいるかもしれない。私は抵抗ないが。
ここは少し・・・という所も書いておく。やはり「男」がいくら一人称小説とはいえ、キレイ過ぎるのだ。セックスに至る同級の男はもちろんのこと、おばさんであるおじさんも。肝心の、題名にもなっているアンネさんが私には実体感に乏しい。もう少し等身大でも良いのではないか。書いているのが中学生ではなく、中年にさしかかる女性だとしたら尚更。もしかしたら、これは女装的なゲイという相反するような人の事をあまりよく知らないという私の事情もあるかもしれないが。(女性的なものの忌避から同性へ向かう場合も多く、女装とゲイって普通は対極的なもの。まあ「普通」っていう表現もおかしいが。)
アンネ氏をここによみがえらせるならば、「キレイ過ぎよ、私はそんな人間じゃないわ」と言いそう。
あと、ついでにもうひとつ。前半での時系列がちょっと分かり辛い。