『廃疾かかえて』西村賢太

これまでも買った雑誌に掲載されていたことがあったが、なんとなく避けていた西村賢太。短い作品なので読んでみたが、こりゃ強烈な個性を感じさせるわ、という感じ。たんなる個性というより、もはや異物感が漂う。
まず面食らってしまうのが、主人公の男の会話での口調で、「それをちと確認しようと思っただけの話だよ」とか「何をそんなに長く話しておいでだ」とか、まるで落語のなかに出てくる江戸っ子町人みたいなのだ。しかし、これが完全に作られたものなのかというと、付き合ってる女性の口調は違和感なく現代人なのだから、リアリズムでこれなのだろう。少し混乱する。
地の文も同様な調子のところがあり、これまた古めかしいのだが、難渋することなく読めるのは、文章が達者だということなのだろう。話の内容も下世話なよくある話にしては、それなりに読み進められる。ま、貸してた女に結局たいした特別の事情はなさそう、という事に落ち着いてしまうのだが、何か事情があるかもしれないと読者に思わせ、少しでも先のページをめくる動機を与えるというのは重要だと思う。
純粋に好きなんてそんな恋愛は存在しない。恋愛というのはつねに他者の欲望(他者が好きになりはじめて自分も好きになる)に動かされている、そんな恋愛の醜悪な実相をこの小説は強烈に暴き出してはいる。いわばケータイ小説的なものの対極にある。自分がどういうふうに語られているか、相手の女が世間的にはどういう女なのか異様に気にするこの男の無残な有様こそ、しかし真実に近いだろう。
私は、だがしかし、と思う。それはそうなんだが・・・確かに痛快でもあるのだが。余りにこれは露悪的にすぎないんじゃないだろうか。聖俗ということでいえば、心の中にどこかしら聖なるものを持つことで人は生きているんじゃないか、と思うのだ。パンのみ、ではない。