『グレー・グレー』高原英理

前述の福澤作品と打って変わって、言葉の一つ一つにやたら神経を配った詩的なSF的非リアリズム。
非リアリズムということで出だしは不安だったが、しかし決して読み辛くはない。主人公が冷房を最強にしている理由が徐々に明らかになる構成もよく出来ている。一言でいえば、肉体が死んで(機能不全に陥って)しまっても完全には死なない世界。その中で半死人は生きているものを恨んで襲ってくるし、恨まない者は肉体が腐り果てないように低温の部屋のなかでなるべく動かず、辛うじて意識を持ち続ける。
意識を持ち続けたい死人は外出など危険だからしないはずなのだが、主人公の恋人の死人は散歩を試みる。ほんらい説得力のない行動なのだが、この恋人が弱弱しく発する「いこ」の繰り返しが説得力を生じる。表現力の勝利か。
けっきょく、案の定路上で襲われ更にこの恋人は満足にしゃべれなくなってしまうのだが、そこでの、ただ言葉を発してくれればそれでいいというコミュニケーションは心を打たざるを得ない。ここでの執拗な描写は。ま冷静にみればここに見られる構造は、不治の病の女性とそれを見守り続ける男性という、通俗的小説にありがちなものであって、しかしありがちということは、強固に人を捉えるものがあるのだろう。
平山作品に今日的意味がないと言っておいて、じゃこの作品はどうなんだといわれればやや苦しいのは確かだが、この作品の救いのなさと、救いのない状況においてそれでもどこかに帰ろうとする姿は、やはり"われらの時代"の意識を反映している。平山作品には、デストピアを整然とした統御された世界とするだけの希望が見られる。エントロピーは片方では増大し、片方ではきれいに切り取られているのだ。