『長い終わりが始まる』山崎ナオコーラ

モラトリアム終了間近の大学生の音楽サークルでの日々。純粋リアリズム系で不合理要素はゼロ。以上。・・・・・・。
というふうに、これだけで要約を終わらせることもできる小説。そういうのはもういいや、という人はとくに読む必要はないだろう。芥川賞の候補になった作家ではあるが、この作品には読んで意外な発見はまずないので素直にスルーしても良いのではないか。いわゆるモラトリアム小説の類の小説の枠内からほとんどはみ出すものはない。より、リアリティがあるふうに、つまりうまく描かれているかそうでないか、の違いくらいしかないのだ。
ただそういう意味での合格点には十分到達している。音楽の道へ進むことなどない事を分かっていて、いつかそれをやめて「大人」にならなければならない事が分かっていて、それでも音楽をやめられない心情はきちんと描かれていると思う。仲間内では上手いのだけど決して音楽に進むことは無いのが自分で分かる程度の上手さというのがいい。
終わることが分かっているのならとっとと止めればいいのだが、そういうものではないのだ。心のどこかで終わりを信じていなかったりするし、いざ奪われてしまうまではやってしまうのが人間なのだ。
うまく描かれているかそうでないのかの違いだけ、と書いたが、むろん、山崎ナオコーラならではの味みたいなものも無いわけではない。こういう種類の共感と言っても遠くない小説は、そういう所のフィットも重要な要素かもしれない。例えば登場人物のキャラのモノの見方やセンスに共感できるかとかそういう部分がポイントだったりして、そこがピンと来なければ評価的には少し厳しくなってしまったりするのかもしれない。作者にはいかんともしがたい部分なのではあるが。
そういう共感度的部分で言うと、読み始めた当初は、心地悪くは無かった。性格の描写はそれほど悪くない。こういうちょっと身勝手な、そして、男と女の友情に留まる関係を信じて無邪気に接してくるような人、いるよな、と思う。リアルではこういう人とはまず付き合う自信がなかったりするのだが、なかなか愛すべきキャラだよなあ、と読み進められたのだが、途中から少し雲行きが怪しくなってくる。周囲に嫌われるのが分かっていて嫌われそうな行動を取るなんてのは、下手すると中学生、みたいな。
細かい話をすれば、主人公の立ち位置がいまいちはっきりしない。後輩から疎まれているのかそうでないのか。電話をすれば皆何かと主人公に優しいのだが、サークルの運営からは外されてしまっている。その外され具合の、身近な政治の冷酷さがもう少し描かれれば面白かったのだが、これは私がこういうある程度の規模のサークル活動の内情に疎いという事なのか。それといくら音楽に没頭することで他の事から逃避する事を意図しているとはいえ、好きになった男性へ執着が無さ過ぎはしないか、と思う。リアリズム小説なのだからこういう部分はもはやキャラ云々ではないだろう。
サークルでの最後の演奏会の描写を一切省いたのは良かったと思う。