『首里城下町線』大城立裕

偶然かつての軍隊の上官の親類の人と出会い、沖縄にかつての戦友に会いに行きつつ、その頃を回想する話。
この著者のことをネットで調べて驚いたのは、けっこうお歳をめされている事。こんなにしっかりとした文章を書くとは正直驚いた。沖縄戦の内容についてはリアルそのもので、激しく緊迫しながらも、軍隊というものがそれほど特殊ではない、生活に結びついたものとして描かれる。いろいろなエピソードが興味深い。
そのかつての戦友は、いわゆる老人ボケに入ってしまっていて、かつての詳しい話など何ひとつ確認できないまま主人公の沖縄行きは終わる。がしかし、そのことに対する主人公の総括が胸を打つ。
ボケるきっかけがかつての上官を思い出した事だとすれば、ボケることによって、戦争の記憶は彼のなかに決定的に定着したのだ、と主人公は言う。あるいは定着したことにより、ボケを生じた、か。いずれにせよ、そして、決定的に定着したのだから、もはやそれが他人に伝わらなくてもいいのではないか、とまで言う。(彼は今や戦時に象徴的だったことを片言でときどき口にするだけになってしまったが。)
戦争の記憶が他人に伝わるか伝わらないかなど問題でないくらい、個人的な体験を取り戻す事が重要なのだ、というわけだ。
直接関係ないことだが、戦争を体験しているからといって、それを後世に伝えねばならないとまでするのは、体験者に対する態度としてときに不遜に写る場合もあるだろうな、などと思った。