創作合評の田中弥生の川上作品評

田中弥生さんは頭の切れる人で、ネタばらしが得意技で、それだけでなくきちんと文学の知識も豊富な人なのだ、というイメージを残して彼女の当番は終わってしまったのだが、最後のこの川上未映子評はさすがになんなんだろうコレ、というものだった。
一葉へのオマージュというのはいいとして、じつは、主人公の脳内世界の出来事ではないか、みたいな事を言う。え?またですか、という。
いや、それもそれでいいとしよう。で、これが脳内世界だからなんなの?なのだ。脳内世界であるのとないのとで、作品解釈の上で何がどう違ってくるのか、というのが皆目分からない。小説というのが、読者と作者がシカケの解き合いをして楽しむ場だというのならば分かるのだが、テレビゲームの裏技探しじゃあるまいし。一葉の話も広がりなし。
挙句、面白いけど支持できないみたいな事を言い出す。女性を非理性の側でよしとしている、らしい。
私は全く逆に思ったのだが。ネタばらし云々より遥かに肝心な、作品のテーマの解釈の部分が全く納得できない。それなら、途中の「言葉が足りない」という叫びや、ノートを長いこと読むというのは、一体なんなのか。言葉=理性と考えれば、理性に負けた昔を今度は理性でなんとかしたいという試みこそがこの小説のテーマだと思うし、だからこそ豊胸手術前に昔の夫に会いに行ってるのだし、飲んで帰ったというのはまた負けたことを必ずしも意味していないし、すくなくとも非理性で対抗(豊胸)する部分はとりあえず止めたのがラストではないのか、と思うのだが。