『しろとりどり』栗田有起

これも冒頭がけっこう良くて読み進めたのだが、読後感としては上記田中作品より下。もし冒頭部分で、出会う男が私の半分を持っていて、というなかなか面白い記述がなければ評価はもっと低い。
ひとつひとつの文章が短めでしかも会話文が多く、一気に読み進める事ができたのは確かであって、リアリズム系の作品にそういうものが多く、で、これも一見リアリズムかといういとちょっと怪しげ。というのは、何でもかんでも白くしてしまうところなど、ちょっと行き過ぎというか、普通に異常な人でしょ、みたいな。そんな人がいたらもっと周囲から距離感を取られないだろうか、と思う。またカーテンなども漂白、なんでもすぐ漂白とか書いているが、ワイドハイターでは色落ちはしないし、かといってただのハイター(塩素系の漂白剤)というのは生地をとても痛めるので、そう度々使用できるものでもないだろう。このへんもリアリティを欠く。次から次へと男が現れるところも含めてひとつの寓話なんだろう、きっと。あと付け足せば、公演の番人と称するようなホームレスであれば、そこへ来る小学生と自ら付き合うような事もまずないのではないか。なぜならそんなのは自らトラブルを呼び寄せるようなものだからだ。小学生の親に見つかれば何言われるかわかったもんではない。
また主人公は、なんでも白くしてしまう自分、男に執着しない自分に自足している気配が強く、ではそれが絶望ゆえかというとそんな深さも感じず、自分の生のなかで心地よく自閉しているかのようである。開けっぴろげに中年女性の仲間を作ったりしている一方で、その中年女性を含めどんな人に出会おうと自分自身が変わることがほとんどない。こういうところは、出来のわるい春樹作品を読んだときのようにややウンザリさせる。周りにフランクな様子でいながら見えるところでは決して自分を明かそうとしないような生き方。意識に上らない罪悪感のない偽善というか。
そしてこれが一番肝心なのだが、何人もの男性と出合っておきながら、誰にも拘泥しなかったなんてのはちょっと考えられないだろう。そういう所で拘泥し、自分に裂け目を作られてしまう様を読むのが文学の楽しみのひとつなのだ、と私は信じる。