『切れた鎖』田中慎弥

以前に酷評してしまった田中慎弥氏の作品はいつか別なものを読んでみようと思っていたのだが、今回は冒頭部分を読んで地方の有力同族企業の経営者の家族の話ということで、なかなか魅力的な設定であり読むことにした。
こういう企業の歴史はまた近代の歴史でもあり、ということは内面に描写を移せば、そのまま文学の歴史としても成り立つわけで(文学=近代という柄谷方程式)、魅力ある題材ではないかと思う。
前作を読んで大分経ってしまっていて前作がどうだったか定かではなく比べられないのだが、基本的な描写、構文力はしっかりしていて、とくに魅力的な記述があったわけではないが、くどいと感ずる箇所もなく、全体的に良い文章だと思う。母親〜自分〜娘〜孫娘と続く女性4代をめぐる話であるが、リアルタイムに出てくるのは自分と孫娘だけであり、とくに在命中でありながら娘については徹底して不在にしてしまう事で一定の効果を上げていると思う。
また母親と娘との相克、同性であるがゆえなのかなぜかしら敵対してしまうという関係についても説得力をもって描いている。
それ以上に感心したのは、隣の教会の「あの男」について、頭からつま先まで嫌っているようでありながら忘我のところではその存在を確かめてしまっているという「必要悪」というか一種のレゾンデートルと化しているかのような複合的な感情ををうまく描いている所だ。
と書くとベタ誉めだが、いま一つしっくり来なかったのは、そのような複合的な感情と、孫娘に関する無防備な愛情表現とのバランスがいまいちスムースでないところ。孫娘のまえではすごく単純な心理描写がやや唐突感をもって顔をだす。このスムースでない所もこの作者ならではなのかもしれないが・・・。あと情景描写として廃バスや教会などは上手く描かれているのだが、同族企業の力の象徴たる海辺に広がるコンクリートのイメージがいまいち掴みづらかった。これは私があまり地方というものを知らないせいもあるのだろうが、企業の力を感じさせる描写が少なく感じたのは寂しかったところ。
総じて言うと、粗筋としては、娘が出て行ってしまった、という事だけで、今ひとつ読者を先へ先へ引っ張っていってくれないので[普通]とした。100枚でありながら読み終わるまで多少中断があった。ただ、もちろん純文学的にはこれはOKなのだろう。