『椅子』牧田真有子

この作品は上記とは違って、作者の色を感じさせる部分がある。情景描写もとくに上手いとは感じないのに、わりと読んでいて情景を喚起してくる力がある。川上弘美が爽やかと書いていたが、ごく簡単に俗っぽく形容すればそんな感じで、この書き手はいい観察眼を持ってるのかもしれない。
読み終わってまず欠点として感じたのが色んな要素が詰め込まれすぎて、焦点があっちこっち行ってる感じがしたこと。ちょっととっちらかった印象。文章も端正な文章で統一されているもののそれはあくまで外見上であって、恋人男性をどう感じたのか、とか、叔父をどう感じたのかについて、あっちこっち行ってる様子がひたすら説明され、追っていて統一感のなさまでは感じないものの、やや疲れる。
それともう一つは、叔父にとってなぜ椅子なのか、というところの説得力がいまいちなのと、主人公が時間に追われて大変だという様子、椅子をひたすら作っている様子という一番肝心なその情景があまり浮かんでこないところ。要するに「王国」と表現される叔父の心の強固な独立心がなぜ椅子に向かったかという点と、主人公がずっと時間に追われている切迫しているという点、これらのこの小説の肝心とも思える点について説得力が弱い。「切実なシュール」さとは何か、言葉によってポンと置かれるだけで主人公のそんな切実さがあまり目に浮かばないのだ。
橘という人間について浅田彰に二流少女漫画とか言われていたが、たしかにと思うと同時に、これも「切実なシュール」と一緒で、その佇まいが言葉によって説明されすぎな部分があって、では行動によって示されているかと言うと、主人公が魅力的と思うほどの感情はこちらに喚起しない。こんな人物必要だったのだろうか。こんな人物とのあれこれを書くくらいだったら、叔父夫婦の物語を(とくに叔母のそれを)もっと私は知りたかったように思う。この辺を省いたこともこの作品の味につながってるという事はあるのかもしれないから、なかなか難しい選択だとは思うのだが。
最後に良かったところをあえて付け加えると、この作者への人間への眼差しには信頼を抱ける気がした。表面的ではないベースのところに共感がしっかり横たわってると言ったらいいのだろうか。たとえば大学の同級性の様子の描写など、主人公とは違うタイプの女性でもどこかしら共感の眼差しを感じるのだ。おそらくこれも爽やかさにつながってるのだろう。