『欠落』宮崎誉子

男性が主人公とはいえ基本的にいつもの宮崎文体で、内容も非正社員労働を描くというこれもいつもの内容。
でも面白い。宮崎誉子は、マジでプロレタリア文学作家たろうとしているのではなかろうか。すばるのこの間の「プロレタリア文学の逆襲」という特集では執筆者には名前がなかったけど、もしそういう特集ならば、第一に言及されるべきなのは、彼女ではないだろうか。
以前の作品と少しだけ違うところは、今回の主人公が幾ばくかは資本主義社会にたいして疑問を抱いているところ。ただ疑問は抱きつつも彼は、労働の現場にいちど立ってしまえば、至極真面目な被使用者たらんとして奮闘し、冷や汗をかき、ストレスを受ける。姉の依頼で登録しに行ったにすぎない派遣会社の適正試験でも真剣に答えようとする。
そんなふうにして、よほど強固な意思というか思想を抱く者でない限り、われわれはいとも簡単に資本が要請する労働者像に積極的になろうとしてしまうのだ。一歩離れればこんなつまらない事と思ってるはずなのに、現場に立てば一所懸命働いている自分がいる。まったく不思議で恐ろしいことだ、と思う。
それでも宮崎作品のなかの登場人物、とくに主人公はまだ救われていると思う。なぜなら言葉とユーモアを失っていないからである。行動はあえて単純化して描いているが、これだけ軽妙な会話を繰り出せるのだから、そう単純な中身とはなっていないはずである。
今の階層社会といわれている事のもっとも問題な部分では、こんなものではないだろう。多くの労働者は言葉を失いつつあるはずではないか。もちろん宮崎がそういう現実を無視していると非難したいわけではない。全ての非正社員が言葉を失っているわけでもないのだ。
彼女としては、苛酷な現実のなかでも言葉を失わない人々を描くことで、人間という存在のもつ「おかしさ」を示しているのだ、と思う。非人間的なシステムのなかでも生き延びてしまう人間というものの。その彼女のシンパシーの抱き方には、誠実さすら感じる。
そしてわれわれは自分たちの生活が、このような下層労働によって成り立っていることを押さえておくべきだろう。たとえば世界に名だたるハイテク電機メーカーの多くが、派遣とか臨時雇用によって高収益を保っているのは周知のとおりである。