『Aデール』玄侑宗久

通俗的で深みを感じる人物が主人公という訳ではないが、この間の作品もふくめ、この作家の関心領域としては間違っていないと思う。病や死、老いといった一般的で具体的な恐怖を相手にしてこそ宗教だからである。
またこのような作者は、中途半端な恋愛小説や実験的な内省小説を、例え書けたとしても書かないだろう。それは、むしろ仏教者としては潔いことであって、今回のように主人公の若い女性の内面がそれほど堀り下げられていなくとも、逆に、それでこそいいのだと思う。
小説としての完成度を優先させ、仏の道がおろそかになってしまっては、おそらく誰にとっても良くあるまい。
通俗的とは書いたが、恋愛などとちがって老いとか病気、具体的にはボケとか、そういう場面については、あまり退屈することなく読める。それらは、とくに人間とはなにかを教えてくれるわけではないが、「人間が生きる」ということのうちの重要ななにかを示しているように感じる。