『ワンテムシンシン』古処誠二

たしか直木賞候補にもなったことのある人で、そういう人の作品を読んだことがあるというのは私にしては非常に珍しいこと。宮部云々、京極云々とビッグネームの作品も読んだことが皆無とは言わないが、面白いのは理解できても、読んで何も残らないのも事実。
で、古処氏については何が違うかというと、扱っている内容がヘヴィというのもあると思う。全部の作品を知ってるわけではないが、彼が今まで書いてきたのは、どう考えても純粋なエンターテインメントで終わらせることが不可能としか思えないようなテーマのものばかり。
知ってる人は知ってると思うが、そのテーマとは戦争である。しかもその戦争は、大日本帝国軍のものなのだから、これが読者に何も傷跡を残さないはずが無いのだ。そう考えると、純文学のような読者の少ない、またあらかじめ問題意識を充分にもっている人たちが多いフィールドよりは、反戦を訴えるという意味ではエンターテインメントに在ったほうが良いのかもしれない。
そんな絵に描いたように古処作品で反戦に目覚めるようなケースがそんな多いとは思えず、結局、こういうものを受け入れるのは予め少なからずそういう意識を持っているような人の方が多いのだろう。ただそうと分かっていても、彼くらい強度のある作品を書けるとなると期待する部分はある。何が「美しい国」じゃ「日本に生まれて良かった」じゃ、という人がもっと増えて欲しいものだ。
今後どうなるかは分からないが、直木賞の選考においてさえ、実情とは違うみたいな評を受けるくらいであれば、いっそ純文学のフィールド、つまりフィクションの作り込みがより試される場所で書いていくのもいいだろう。「実情」とは違ってもリアリティがあればいいのだ。例えば奥泉作品だって、先の戦争を書いても、オカルトありコミック風ドタバタありで、それでも反戦の強度は高い。


いろいろ書いたが、今作の内容はちょっと文句付けがたい出来。よくこの短さで、この深さに達することが出来るなあ、という。どこにも悪者がいないのは当たり前として、当初目の敵的な存在であった衛生部の長が、彼なりの立場でじつはこれ以上はないという所まで考えていたんだよ、というのが分かる独白の所などはひとつのハイライトとして、圧倒的な迫力があり説得力充分だ。死んでしまう戦友がやや良く描きすぎとはいえ、主人公のフィルターを通しているから仕方ない範囲だし。
また、そればかりを書かず、宣撫工作とその対象となった原住民との浅いような深いような関わりを書くことで、作品としての広がりを獲得している。あえて、こういう懐柔策がうまく行っていた例を書いたのもまた然り。