『運河を渡る』稲葉真弓

稲葉真弓といえば、前にちらっとここで言及したが内容はほとんど覚えていない。今作もきっと一年も経たないうちに忘れるんじゃないか、そんな程度の内容である。いろいろ過去を回想しながら、老年にさしかかった友達同士の女性ふたりが、天空橋から羽田のターミナルまで散歩するだけの話。
これもまたナルシスティックなところがある作品で、青山真治の場合は破壊へのベクトルなのだが、これは自己肯定だからより読んでいて気味が悪い、ともいえなくも無い。
羽田という土地と絡めて、かつての左翼運動と自分との関わりについて語るところなどは、平易な文体でありながらよく書けてはいる。がしかし、結局のところ、みんな忘れてしまってるけどワタシは憶えているんだから、と言いたいがごとくで、優越の気味すらある。
それでも、後半に至って自分の進んできた道を素直に肯定するのだから、正直に明かしているぶん、それほど非難されるべきものでもないとは思う。独身で、人様に大きな迷惑もかけず、なんとか生きてきたという自負の気分もうまく表現されていると思う。風景に触れ実存の感覚を取り戻し、やがてゆるぎない自己肯定に至るところなどは、第二の人生のため一区切りといった2次青春小説ともいえるかもしれない。
読んでどうこう言うほどの作品ではないが、こういう小説が書かれ、受容されることにまで目くじらを立てなくても良いと思う。