保坂和志の文章

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なんなんだろう、それは私の中では同じ意味なのではないかという予想がある、って。その予想はどこにあるんだ、誰かが保坂の心の中を予想しているのか?そうでないんなら、私の中では同じ意味となっている、って単純に書きゃいいじゃん、としか思えない。格好つけようとして、さも深遠な難しげなことを書いているんだというふうにしようとして、文章を分かりにくくしてないか、これ。
そもそも予想をしているのも自分の中の心的現象なんだから、自分の中を予想するなんて、心がふたつあるのかね。
それに、死なんてのは、自我(とその欲望)があるから、恐れたりいろいろ考えたりする訳で、自我を乗り越えればそりゃ死は乗り越えられるだろうよ。そんなこと、いちいち哲学者が言うまでもなく、たいていの人は似たようなふうに考えるんじゃないのかなあ。
保坂の小説を好きな人って、この評論めいたものも、きっと面白いと思ってるんだろうけど、なんか気の毒。