『痺れ』浅暮三文

ある人の体が徐々に痺れていき、どんどん抽象化した存在になっていくという話。
実際にあった少女への殺人事件が語られるところからスタートするので、リアリズム的なものかと思いきや、まったく違って、悪い意味で裏切られた。
とにかく、痺れた、発泡した、という事ばかりで、重複したような表現も多く、しつこく、長い。とにかく長い。シュールな描写ばかりが延々と続くのだ。こっちが痺れを切らしそうになる。
で、たいした事は結局何も起こらない。いや正確にいうと、たいした事どころか、何も起らない。
こういう何も起らない類の話は、苦手というか、とにかくがっかりするのだ。ここまで読ませて何も起らないのか、と。これなら中村文則のほうが、はるかにマシという事だ。
また、モチーフとなった殺されていく少女たちが、どうして痺れという表現とつながるのか、そこが弱い。