『ギッちょん』山下澄人

これを読まされたあとで振り返るなら、そりゃ前田司郎の小説に甘くなるというもの。
例によって章だてで、章の名前に工夫がなされているが、その時点でウンザリしますね。はいはいはいはい・・・・・・。こういう工夫が、ぜんぜん小説の動力になっていないのね。こういう工夫をおもしろがれる文「芸」趣味の人には動力になるのだろうから、好きな人は好きと言ってよく、それは理解しますけれども。
時間が前後しつつひとりの人物という作品では、本谷有希子も最近そういうのを書いていたけど、あそこで動力となっていたエピソードの面白さも全くない。ギッちょんなる人物にもとりたてて魅力がない。山下澄人を読む人は、同時にたとえば松波太郎とかちゃんと読んでいるんだろうか。行き当たりばったりにフリーターやっている人間にも宿る倫理性についてあそこまで描き切れる作家にもっとスポットライト当ててください。つか、私も自分の山下評価が世間とあまりに違いすぎるので気になっていわゆる文芸評論家の評価なんかも目を通したりするんだが、「この作家、一見読みにくい風にかんじるかもしれないがそんな事はない」とかいう言い方がしばしばされるのね。・・・・・・。読みなれている人、頭の切れる人はそうでしょう。良かったですね頭良くて。
はっきりいって山下澄人の作品で読みやすいものは一作もありませんでした、私にとっては。評論家はもう少し自分自身を外側から見るように。