『新潮』2012.9・10・11 まとめて

痔が少しも良くならないのでワセリンを塗ってみましたが、塗ならいと血が出るだけのことです。


しばらく休んだので読者の方もだいぶ居ないでしょうから(幾人かの方々からコメント頂いたのにほったらかしですみませんでした)、前にもまして好きに書こうと思うのですが、休んでいる間に態度の変更とかそういうことは全くなくて。で、この歳で再就職というと普免ぐらいしか資格なければ肉体使う仕事しかなくて、その妬みも手伝って、座って仕事しているような知的産業の方々の書くものが益々読めなくなりました。
いや、小説は読んでますけど、いわゆる左がかったマスコミ人・知識人のものはもうダメ。
慰安婦問題で強制はなかったとかいう奴はマジクズだと思うし、北朝鮮がこんなに攻撃的になったのも一時帰国の人たちを日本に無理やり引き留めて(←拉致でしょあれ)強引に説得したのがきっかけだったと思っているし(つまり諸悪の根源は日本)、尖閣に中国船籍が云々て言われても痛いとも悔しいとも思わない私は、自分ではサヨのつもりだったんですけど。
たとえば、東京新聞の論説の人とか、あんなんでよく勤まるよなあ、とか正直思います。原発関連の報道では、東京新聞は群を抜いてひどいですよ。ま部数がすくねーからいいんですが。たとえば、”原発やめて再生エネルギーの開発に努めればいい、日本の技術があればできる”みたいな意見を平気で言うんですよ。インパール作戦かよ・・・・・・。ドイツに出来て日本に出来ないことはない、って、ドイツと日本では地理的条件から何から違うでしょ、と、ブツブツ・・・・・・。


あと、高橋源一郎も読めない。朝日の論壇時評とか文學界に書いてるやつ読むと、なんなんだろうコイツ、としか思えない。
氏の場合格別ヒダリという訳でもないですが、さいきん何か小熊英二あたりと歩調があっているかのようで、朝日の論壇時評とかで、デモをフォローしたり、政治に期待できない若者たちの側に立ったりしてるの読むと、あんたらは皇道派将校さんかいな?と小馬鹿にしたくて堪らなくなるんです。
なんでそんなに性急に議会政治を軽視しなければならんの?青年将校なの?政権交代を選挙で実現したのって、だってついこの間ですよ。ひとり一票の投票にいかに力があるか示したばかりなのに・・・・・・。しかもアベチャンになって、少なくともマーケットの数字の上では大変化してて、いやあやっぱり選挙の力ってすごいなって感じなのに。って、馬鹿にしたくて仕方なくなるんです。マジどうにかなりませんかね、あの辺の、SIGHTあたりで渋谷陽一とじゃれているような人たち。


政治が絶望されているってのもどうなんすかね。私には、絶望されたのは「政治・政治家」ではなくて「口先だけの政治家・知識人」、もっといえば、「難癖つけていれば物事が好転すると思っているような古臭い反体制・左翼・リベラル」のように見えますが。だから冷静に考えれば、小熊英二なんか言いたきゃ言わせとけなんでしょうけれど。絶望されているのは、自分たちが対峙している政治家たちではなく、自分たちであることに気付かないようなクソ鈍感な奴には、ね。
だから、ああいった人たちが世の中変える言っても、恐れるほど議会軽視ポピュリズムには世の中は多分ならなくって、いまのポピュリズムは、そういう方向を向こうとはしていない。高橋源一郎がいくら、反原発を言うのにオプションをわざわざ用意する必要なんてあるの、とぼやいたところで、たとえば計画性のない反原発=反対をいえば世の中が好転すると思っているようなモノ・ヒト、が選挙では見向きもされなかったのなんかがいい証明です。(民主党がボロボロになったのも本質はそれ=口だけ性であって、「民主党の政治・政治家」がダメということではないのかも。今の自民党議員と質的な差は殆どない感じだし。)
つまりは、いくらこいつらが笛を吹こうが、踊るのは別のポピュリズム、たとえば首都圏なんたらみたいな都市上層階級のそれ、みたいなものだけだったりするのではないか。
なんて、冷静になると思ってみたりするんですが。


そんなに奴らを恐れる必要がないなら、なぜグダグダ書くのか、って? 反原発なんて盛り上がっちゃいないし、アベ政権の支持率70%じゃねーか、って?
いやその、たんに不愉快だからです。
けったくそ悪いリベラル連中が前面に残っててそれらへの反感がより募るせいで、リベラル全体が消沈してしまいかねない、みたいな懸念もあったりするんですけど。小沢や鳩山にフォローされたせいでしぼんじゃった反原発のごとくに。でもこの理由は後付けっぽいですね、だって反感しているのは言ってる私、テメーなんですから、メタに立って人のせいにしたらいけません。
お前みたいに普段なーんも実践していない奴が、余計な心配すんな、って感じですか。あーそうですね・・・・・・。こういう不愉快が抑えられなくなるのって、やっぱ震災後変わったのは私のほうなのかなあ。とりあえず、クリッパーズがんばれ。


注:この間の新潮掲載作でも、ここで言及していない作品もありますが、読んだのに記憶がないか、特段書くことがなく、なのでメモも残ってないか、あるいは読んでいない、ということです。「新潮」は荒木なんとかさんの写真が載り始めてくらいから定期購入をやめていますので、読みたくないものは飛ばすことがあります。