『文學界』 2012.3 読切作品

節電のおり、電気の使用量がわずかながら昨年を越えました。天気のせいといいたいです。


さいきん領土問題でメディアがにぎやかなようで、たまに「国土が危機なのにこんなときに問責するだのしないだの、なんて!」というような一般国民さんもいて驚かされます。なかには、識者というかお名前を拝見したことがあるような方まで、何やら愛国心を刺激されたのか、「経済協力は凍結して思い知らせるべきだ!」とかいってたりもして、あれ?こういうこと言う人だったんだ、と知らされます。震災後の発言でもそうでしたが、発言の内容自体にはまったく汲むべきところなくても、その人の正体を知らせてくれるという、そういう意味では意味があるなあ的なことも今回ありますね。この人のことは、今後もう信用しなくていいかんじだね、消えて、という。こういうプチ「危機」で、文化人・識者のたぐいが淘汰されていくのは、微々たることですがいいことです。
もっとも私は、そんな勇ましい人たちはともかく、挑発に乗ってはいけない、とか大人の対応を、とか品性のあるナショナリズムを、みたいなお行儀の良い中学校の先生みたいな発言をする「穏健で良心的な」人たちにも懐疑的ではあります。国家の争いにはボクは無関心でいたい、みたいなのも。だってそういうのって結局、韓国や中国を「子供」みたいな国民のいる遅れた国としかみていないように思えるからです。上から目線というか、植民地目線ですよ。でそういうのがベースにあるものだから、こういう大人の対応をとか言うひとにかぎっていざ我慢がきかなくなると、「蒋介石は相手とせず」みたいなかんじで、武闘派もびっくりにキレちゃう。手っ取り早く言えば、もうすでに読売あたりは時々サンケイもびっくりになりつつありますが、いずれ朝日もなるんではないか、と。
だいたい韓国の大統領の不人気が背景にあるとかその方向でしか話もっていってませんからね、どのメディアも。「あちらの内政問題」という態度です。なぜそれが人気回復策としての効果が韓国にはあるのかを考えるべきだし、それを考えれば歴史問題を避けて通れる筈はなく、領土問題を国際的な場で提議する前に、慰安婦問題の提議に乗るべきでしょう。
やれ信書を受け取らなかったあるいは天皇に謝罪をもとめたのが極めて異例とかばかりいいますが、南京はなかったとか慰安婦は強制じゃなかったとか言いたい放題の人間が地方の首長になったり、A級戦犯は犯罪者ではない説の人間が首相であったりすることのほうが、サッカー選手がビラ掲げるよりも恥ずかしくて野蛮でみっともないと思うんですが。いわばことあるごとに日本が向こうの国民感情を刺激してきてるのに、向こうが熱くなると、大人のふり。これでは・・・・・・。
しかしいま、ほとんどの日本人は敗戦時に日本がヤバい資料をことごとく焼いて棄ててしまったそういう卑怯な国であったことも知りませんからね、やれやれです。もし東京電力が、いやあのときの会議の資料は棄ててしまったけど悪いことしてません、とかいったらものすごい攻撃されると思いますが。