『個人と世界をつなぐもの』宇野常寛×國分功一郎

ほんとならドストエフスキーの新訳を読んだほうがいいんだろうが、気軽な読み物ということで一応目を通す。久しぶりに文芸誌で見る名前だなあ、という感じ。前半から中盤までは理解できない箇所があっても、理解しようとする気持ちが働かないから殆ど読んでいないにも等しく、評価は控える。
後半になって、「今だからこそ文学が必要」みたいなこと言っているが、あれ似たようなことをどこかで?と思ったら、佐藤友哉氏が「群像」で紹介していた東浩紀のことばだった。
いやべつにそんな事言わずもがなで、小中学校では国語の授業は必修なんだがなあ。これ以上何が?
つかこれ以上といったら、普通に考えたら一般人にはなかなか理解してもらえない純文学ってことになるんだろうけれど、むかしどっかで宇野氏はディスってなかったけ?純文学のこと。護送船団がどうのとかいって。(いくら記憶を引っ張り出そうとしても忘れてしまっているのでいろいろ検索したら文体の消滅がどうのこうのいってたようだ。消滅すべきなのか、あるいはしても仕方ないレベルなのか、それとも消滅して悲しいのかよく分からないが、他者への想像力は何より言葉、文体に拘るってことのように思うけどな。)
ともあれひとくちに「文学」ということじたいが粗雑であって、物語化を促すもの、そして同一の物語をもとにして共同体を強化するものとしての近代文学=国民文学、もあれば、それへの反省もおそらくあって、組織しようとしない、あえて簡単に読まれようとはしない現代文学ポストモダン文学もあるんだけどな。もちろん後者にしたって、孤立化を通じて繋がることを指向していたといえなくもないわけだが、とりあえず、どんな「文学」を念頭にいってるのかさっぱり分からぬ。
また最後のほうでAKB云々言っているが、この箇所を読むだけで他がうかがい知れるって感じ。もう充分かな。なんかAKBが人気があるかのような勘違いがどうも根底にあるようだけれど、活字とはいえ大きな意味でのメディア業界にいる人間には分からないかもしれないけど、誰も気にしてないからAKBなんて。たいして容姿が優れないのに上昇志向だけはやたら強い、つまりは安いカネでこき使える若い女の子を集めていい大人が遊んでいるだけのことになんて。(「すばる」的にははああいう搾取状況には反対しなきゃいかんだろ。)
総選挙云々については、そうやって目先をあれこれ変えてなんとか話題性で人気を保つという意味では、ダメな政治家、政党にとっては参考になるかもしれないけれどね。新しい首相が選出されるとそのときだけ支持率あがるでしょ?それといっしょ。
議会制民主主義がいくら失望されてるっていったって、AKBを云々する思想界なんかよりよほどマシだよなあ、と一瞬思ったが、たぶん言っているのは一部の人なんだろうね。それを信じたい。