『恋愛雑用論』絲山秋子

私にとって商品価値があるのは、このページだけといっても過言ではない。
この小説のなかに「どこに、ひとがふつうに生きていくことについて正しく話せるひとがいるというのか」というくだりがあるが、私の理解ではこの作家ほど、話せているかどうかはともかく、そのことについて果敢に考えているひとはいないのではないか、とその作品を読むといつも思う。
ただしこの作品では、何が正しいかはともかく、と主人公は言う。そして、恋愛=雑用、とこの主人公は認識するのだが、恋愛をどうでもよいものといっているのではない。むしろ恋愛が重要なものといっている。だって、雑用というのはなくならないものだ。登場人物の小利口くんが御用聞き的にそこにいるように。雑用を雑用と切り捨てず日々きちんとこなしていくことは、ともあれ、生きていくにおいて正しいことのひとつにあげていいのではないか。
主人公は自衛隊の災害支援隊にも感謝の念をもつ。こういうことを書ける小説家はたぶんあんまりいないのではないか、きっと。たぶん多くは、震災前から震災後もなにも変わっていないから。次世代のエネルギーはどうあるべきかとか反原発をどうすすめるべきかとか「主用」なこと(←雑用のはんたい)しか考えていないし考えなくてもよいと身にしみているから。さんざん被災地で雑用をこなしてきた自衛隊のフォローなんてするのはフジサンケイだけでいいと思っているから。その態度は電気なんて誰かが作って届けるものとしてきたのによく似ている。
震災関連のものとして私が読んだもののなかでは、もっとも深くに届こうとしている小説に思う。ただし、堅苦しいところはまったくない。堅苦しさも、また主用的だ。