『K』三木卓

文芸誌に書いていない人はどんなに高名な人であろうと読んでいないので、この作家も殆ど初めて読む。やたらと平明な文章からはじまるのでややとまどったが、ほとんど一気に読み、非常に感銘を受ける。
実在の人も実名で出てきて、私小説どころか、殆どノンフィクション、エッセイといってもいいくらいなのかもしれないが、しかし、小説なのだ、という気がする。というのは、普通のエッセイでは届かないような心情の奥深くまで探っていて、Kという、主人公の妻の実像を描き出そうとすることとともに、もうひとつの力点が主人公との関係にあって、それぞれが唯一無比だからである。
これがふつうの闘病記みたいなものであれば、「私も同じ」というようなところに指向性があるのだが、唯一性のほうが際立っている。(もちろん、同じ人間らしいところもある。)うまくいえないが、まったく違うものがいて、まったく特殊な関係がここにあるところに、リアリティがあるのだ。異物感があるところに、共通性、共感を感じるというか。
だから半分くらいは、抗がん剤と戦ったりする部分の、闘病ものとして引き込まれて読んだが(私はそういうものに人一倍弱い)、最後の数ページにもっとも感銘をうけ、読後感としては久しぶりに良かった小説だといえる。そこでは、主人公にとって、最後まで妻が不可解であったことが述べられ、その不可解であったことが、なんとも嬉しいような感謝さえ感じるようなものとして記述されているのだ。そしてKという女性は滅多に弱音を吐いたり、自分の気持ちを述べたりするような人ではない人として描かれているが、そのように閉ざすことが出来るというのも、ひとつの生のさらけ出しではあるのだ。生のままぶつかってきてくれているということでもあるのだ。(たとえば、家族のような近い人間であれば同じ部屋にいて全く口をきかなくてもずっといられるのに他人ではそれはかなわない。)そういうふうに接してくれるひとは、私にはとても魅力的に思える。
しかし、さっきは半分くらいはといったが、こんなに気の強い感じのひとでも最後の最後まで、たとえ大晦日や正月に何もすることができなくなったとしても、どんな方法によってでも生にすがろうとするすがた、これは共通して胸を打つ。